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一悟術の智慧
「幸せ」、「豊かさ」、「人間関係」、・・・。

誰もが日常的に経験し、その大切さを感じてはいるけれど、
なかなかその本質まで掘り下げる機会が少ないテーマがあります。

「一悟術の智慧」では、こうしたテーマを取り上げて、
一悟術的「モノの見方」を、対話形式でわかりやすくお伝えしていきます。

一悟術の智慧 壱の巻「幸せについて」
■その3

少し話を変えて、欲求・欲望と幸せの関係について聞かせてください。

人間の基本的な欲求の中に、食欲、睡眠欲、性欲とありますが、性欲は危うい要素を持っている部分があると感じます。

欲望を満たすというところと微妙なラインですが、確かに一体感とかエネルギーがひとつになるとかっていう部分では非常に幸せを感じると思います。

ある意味、誰もが得やすくて、それが故に間違えやすい部分があると思いますが。
例えばセックスさえしていれば幸せだと思ってしまう人、依存症については、どう考えればよいですか・・。

先ほどの達成中毒の話と同じです。
成功を追い求めて達成したけれど、その瞬間に、また次、また次、と、際限なく求めてしまうのと同じ理屈です。


特別なものに見えるけど、成功というのも単なる行動のひとつにすぎない、ということですね?

はい。 セックス依存症といった状態は、本質的に幸せを感じている訳ではない、ということです。
その深さまで幸せにつながれてない、ということです。
観念のレベルで幸せにつながっている感じが持てると、本当にはつながれていなくても、それで幸せと思ってしまう状態です。


幸せといっても、いろいろなレベルがあると感じます。
大自然の美しさを見たときも幸せだし、人にやさしくしたりされるのも幸せを感じる。

でも、競争に勝っても幸せを感じたり、食欲・性欲・睡眠欲が満たされたときも幸せを感じたりする。
さらには、「他人の不幸は蜜の味」ではないが、人の不幸を見て幸せに感じる精神状態もあると思います。

このように、幸せを感じるいろんなレベルがあると思うのですが、どういう幸せが追求するに値するもので、どういうのが値しないものか、という基準を聞いてみたいです。

たぶんさっきの話とつながっていると思っていて、本当の幸せにつながっているものは追求しがいがあるし、そうでないものは追求しない方がいい、ということですか?

そうですね。


真の幸せと偽の幸せとをどうやって見分けたらいいかというと、主体的には、心の底から幸せ感があるかどうかということだろうし、他の人から見て、この人幸せそうだな、と思えるかどうか、ということでしょうか。

それは、他人の不幸を喜んでいる人見て幸せと思わないでしょう?


この人幸せだな、とは思いませんね。
そういうところが一つの基準になるかもしれませんね。

ここでは、「幸せ」に焦点を絞って話しますが、「自分が幸せになっていい」という許可を出すこと、が大切になってきます。


これは、ヒーリングによる、トラウマの解消でかなり起こってきますよね?

あともう一つ、自分で分かりやすい基準を設けるのであれば、レベルが高いかもしれないけど、「もう今死んでもいい」と思えるぐらい、満足するかということ。


でもそれは、あるレベルに達しないと基準として機能しない気がします。
レベルが低い状態の時というのは、何をしてもそう感じるように思えるので。
でも、ある程度のレベルまで達すると、もう死んでもいいと思うくらい、満足できる状態というのがあるんですね。

それが、本当に幸せの源泉みたいなものにつながっている状態です。


ヒーリングを受けた人なら、たぶんその感覚は分かりますよね?

難しくないと思います。経験すれば。


経験すればというと?

幸せの源泉につながった感覚だから、つながった経験がないと、分かったとはいいにくい。
たとえば、おいしいものを食べる、でもいいし、心地よい音楽聴く、でもいいし、とにかく経験することが重要になります。


その感覚は、子どもの頃には持っていたものだから、ある意味、みんなつながったことはあるんですよね?
そういう認識でいいんですか?

ほとんどの人は、あります。
しかし、子どもの頃から、それが阻害されている人もいるんで、全員とは言えないです。


つながった経験がない人も、まれに、いるのでしょうか?・・・

次回に続く・・・


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