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一悟術の智慧
「幸せ」、「豊かさ」、「人間関係」、・・・。

誰もが日常的に経験し、その大切さを感じてはいるけれど、
なかなかその本質まで掘り下げる機会が少ないテーマがあります。

「一悟術の智慧」では、こうしたテーマを取り上げて、
一悟術的「モノの見方」を、対話形式でわかりやすくお伝えしていきます。

一悟術の智慧 壱の巻「幸せについて」
■その4

つながった経験がない人も、まれに、いるのでしょうか?

それはいます。


そういう人たちというのは、具体的にどういう状態の人たちが多いんですか?

人それぞれですが、たとえば社会的な成功を追い求め続けるタイプか、あるいは、精神を病んでいるような状態のいずれかが考えられます。もちろん例外もいるでしょうが。

要するに満たされたいから、極度にプラスを追い求める訳です。それとも、諦めて、すべて自暴自棄、みたいな感じか、いずれにせよ極端に出ると思います。

子どもの頃どこでそれを得るのかというと、やっぱり根本的には、母親からの愛情を受けた幸福感です。それが基本になると思います。母親がいない場合は、父親なりそれに準じる人になってくると思いますが。


たとえば母親以外の人とでも、十分に愛情を受けて幸福感を感じる経験をすることはできますか?

できます。


ただ母親がいても、そういう経験がない人もいるんですね。

はい、います。


それはむしろ母親のせいではなく、微妙なバランスとか、そのときのズレとかっていうのが、関係してくるのでしょうか?

全部関係してきます。


決して母親の教育が悪いとか、そういうことだけではない、ということですね?

はい。


ただそういう状況になったとしても、大人になって回復の手立てはあると思ってるんですが。それはたとえばヒーリングをするとか。

ヒーリングというものを持ち込めば可能ですが、(ヒーリングによる)バーストラウマ、インナーチャイルドの解消なしに、現実生活を行いながらというのは非常に困難だと思います。

ですからさきほどの話でも、ヒーリングを受けていて、過去に本当に幸せな体験、経験があれば、だんだん幸せの源泉につながることはできます。

けれど、やっぱり邪魔をするフィルターが大きければ大きいほど、それは難しいわけです。


それはそうですよね。おいしいものを食べたってそれが伝わっていかない。

そうです。

たとえば心をがちがちに固めて、武装していたとしたら、どんな体験をしても心まで届かないわけです。


では、次に移りたいと思います。
みんなが幸せを追い求めた時に、人の幸せとバッティングしたりすることっていうのは、ないんでしょうか?
これはレベルの低い幸せになってしまうのかもしれませんが。

たとえば、恋愛で一人の人を争うとか、ひとつのおもちゃを争うとか、たとえば限られた資源を国同士が争うとか。
みんなが今のレベルで、各々が幸せを求めるのが善だという気持ちで行動すると、いろんな争いが起きると思います。

でも、そうではないレベルでは、みんなが幸せを追い求めて、みんなが幸せになれる、というのもあると思うのです。
でも今、なぜそうなってないのか。どういうふうにしたらそう変わっていけるのか、というのを、教えてもらえますか。

さきほどから話していることですが、まずは、みんなが個人レベルの幸せの源泉につながる、ということです。
それぞれが幸せの源泉につながっていれば、奪い合うことが幸せではない、ということが分かるわけです。

たとえば、資源を奪い合ったところで、最終的にお互いの幸せが待っていないのは明らかですし、奪ったことに対して、たとえば自己嫌悪とか、そういうものが生まれますよね。
それを感じる時点で幸せではないわけです。

であれば、そこは、譲った方が、幸せっていうようになってきますよね。奪うより。
そうすると、譲り合いになってくるわけです。


そうすると、足りる、という話ですかね。

はい。
仮に、おもちゃの数に限りがあったとしても、みんなが譲り合うことができれば、譲った側も、ある部分で幸せであるし、譲られた側も、素直に受け取れば、幸せを感じることができるし。


では、数の問題でもない、ということですね。
仮に100人いておもちゃが50個しかなくても、みんなが幸せを感じることはできる、と。

できます。


幸せについてのまとめとして、幸せということについて、定義するとしたら、何と定義しますか?
人によっては愛、というかもしれませんが。
宇宙は何と言っていますか?(笑)・・・


次回に続く・・・


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